人が美術の話をしているのを聞いて、私にはそれが最初まったくわからず、知りたくなって村上隆の本を買ってみた。
わかんない。美術わかんない。
とりあえず色キレーという感覚を持てればいいらしい。
買った本の方はまだ読み始めで、例のごとく他の漫画や趣味をうろちょろして止まっている。
読み終われるのかは謎だ。
読みたくなったときが、そのときなので今はデータの中で温めておく。
浪人の時、札幌の大丸(さっぽろ駅前にある大きな書店)で“怖い絵”という絵の裏に隠された怖い話を説明してくれる本が美術関係でちゃんと読んだ本が最後。
本屋の美術コーナーはそこをふらふらするだけで高揚する。
1冊が高くてとても買う気になれないが、パラパラ読むとお得感がすごい。
めっちゃ高いのに読めちゃう。
絵だから、何冊も読めちゃう。
加えて本屋の美術コーナーにいるだけで、何かわかる人になった感が。
スタバが作り出した、高級感に似ている。
ドトールやミスドは庶民感だ。好きだけど背筋は伸びない。
表参道や六本木の蔦屋の特別感。
蔦屋にある美術本コーナーは敷居の高いものだけでなく、芸事や美について疎いわたしなんかも楽しめる、女性が好きそうtheかわいい★美術もそろっている。
ピンクでキラキラでフリフリ。
はあかわいい。
村上隆の話や好きなプロモーションビデオの話を聞いたとき、あー全然わかんないな、と思ってしまった。
わからないことが残念だった。
きっとこれはまた、勉強とかうまいこと生きることにやっきになってきたせいで見落としてきた美しいものだ。
わたしが全部すっ飛ばしてきたものを語る人たちがうらやましかった。
なんせ欲張りだから。
全部わかりたい。
落としてきたならこれから拾いに行くまでだ。
美術集めとか、それこそ老後じゃん。
今日も1日生きるぞー。
でも少し考えてみれば、前からかわいいと思うものはあったし、文字を読むことを知る前に眺めていたものがあった。
シール集めが好きだったし、綺麗なペンのパステルカラーもネオンカラーも好きだった。
ラメ入り過ぎて、書くと利き手が光り輝くティアラも懐かしい。
ショッキングピンクもいいよね。マゼンダというのかな。
幼稚園のとき中華街で迷子になったらしく、両親は大慌てで探したらしい。
きた道を戻ったら私は北京ダックがたくさんつるされて、それが料理人により解体されている様子を窓ガラスに張り付いて見ていたそうだ。
その風景は覚えている。
剥製をみる感動と似ていたのかな。
鳥、たくさん、ひっくり返ってる。
料理人の手さばき、おおお。
人がうまいことやってるのはいいよね。
飴細工職人のパチパチ音と共に動物が作られていくのすごい。
手術の閉創も早くて、同じ作業が繰り返されるのが綺麗で見ていたが、麻酔科があんまり終わり頃にジロジロ術野を見るとまくしたたてるみたいだそうで眺めるのをやめた。
ゲームもさ、私がやってもしょうがない。
うまい人がうまーくやってるのを見るのが好きなんだ。
これは教えるより教わる方が圧倒的に好きな理由に通じるかもしれない。
本読んできて人生うまくいったから、その方法伝えよーって気持ちもあってのネットだった。
(それも人生調子いいやつの義務!って本に書いてあったから笑)
が、こうした方がええよ!なんてーのは私の口からはとてもとても。
質問としてならわたしならこう考える~が出るが、聞かれてもないことをこうやったらいいよ!というのは、なんだかな。
例えば事実との違いを見つけたとしてもそれを口に出すのは、指摘してスッキリしたいVS人と関わるのめんどくさいのてんびんだ。
ほとんどはまあ、いいかなーになってしまう。それが楽。
私が口を開くのはどこかの本にはこう書いてあったよ、ってことだけ。
あきさんよりもっとうまくまとめた人や、伝え方のうまい人がいる。
もう以前みたいに、こんな時はこうする!みたいな話は多分しない。
学んできたことだけど、それをそのまま誰かに伝えたいとは思わない。
わたしは学んだこと日常で使ってる、それだけ。
あきさんは暇をつぶすだけ。
ノリだけ。
今日も元気です。